STORY
パリのとある大病院。当直の看護婦たちの会話。「集中治療室で働くと、毎日死と向き合うから『今日を楽しまなければ』と思うの」。別の部屋では脳に小さな穴を空ける手術が行われている。内視鏡の映像は脳を内部から治療する様子をモニターに映し出す。あるオペ室では、あまりの忙しさに医師が愚痴をこぼす。「毎週100人の患者を診て20人手術している…異常だ」病院の大動脈のような廊下を徘徊するのは、個室を抜け出した認知症患者とそれを追う医師たち。静かな時を刻んでいた地下の遺体安置所にも、次々と新たな遺体が運ばれてくる。長い1日はまだ始まったばかりだった…
身体のグロテスクさをあらわにする。
まるでイリュージョンです。
それに対する外界=病院の
厳しい現実に目眩を覚えました。
「人体」があった。
…アンドレアス・ヴェサリウスの
『人体の構造について』(1543年)の出版から約500年。
ここに新しい人体の映画が誕生した。
医師としての日常がオーバーラップする瞬間が何度もあった。
目が離せず、
やがて仕事が積み重なったときのように疲れてくる。
医療者でない人々に耐えられるのか。
そう心配した瞬間、一気に画面が切り替わり、
別世界に吸い込まれた。
とてつもない解放感、とてつもない心地よさ。
こんな体験は初めてだ。
臓器や内視鏡の画像が見られる。
これは貴重な体験になると思う。
存在するものは存在するとして、
視ることに慣れるのが大切だと思う。