Stray

Intro & Story

人間の生き方は
不自然で偽善的だ。
犬に学ぶのが良い。
ディオゲネス 紀元前360年

犬は人間のかたわらにたたずみ、
そっと空を見上げている――

Introduction

犬はいつも何を見つめているのだろう?
彼らの視点で世界を覗けば、
人はもっと犬が愛おしくなる――

ほぼ全編、犬と同じ目線のローアングルで撮影された世界とは?

殺処分ゼロの国トルコ・イスタンブールの街で暮らす野良犬たち。ここではまるで風景に溶け込むように、自然に人間と犬が共存生活を送っている。自立心が強くいつも単独行動の犬ゼイティン。フレンドリーで人懐っこく、街ゆく人たちに挨拶を欠かさない犬ナザール。そしてシリア難民の心の拠り所になっている愛らしい表情の子犬カルタル…。彼らの視点で街を見渡せば、人間社会が持つ様々な問題と愛に満ちた世界が同時に見えてくる。ほぼ全編に渡って犬の目線と同じローアングルで撮影され、ごく普通の街の風景さえも新鮮な驚きとなって映し出される本作。地上を視覚的、聴覚的に再構成し、高性能カメラが半年間追いかけた先の、知られざる世界とは――。犬と人間の絆が感動を呼ぶドキュメンタリーが誕生した。

犬と人が共存する街、トルコ・イスタンブールで――

舞台となるトルコは、世界でも珍しいくらいに犬との歴史や関係が深い国だ。20世紀初頭にあった大規模な野犬駆除という悲しい歴史への反省から、安楽死や野良犬の捕獲が違法とされている国のひとつであり、動物愛護に関する国民の意識も非常に高い。2017年に、そんなトルコを旅した自身も愛犬家のエリザベス・ロー監督は、主人公となる犬ゼイティンと偶然に出逢い、彼女の「強い意志を持つ雰囲気に惹かれ、追いかけた」と言う。この街では犬たちが自由に街を歩き、人間との共存社会を築いている。彼らに密着し、犬目線のカメラで追い続けたその世界は、想像を超えた信頼と愛に満ちていたのだった――。

動物と人間の関係性を新たな視点でとらえた本作は、北米を代表するドキュメンタリー映画祭のひとつ、Hot Docsカナダ国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀国際ドキュメンタリー賞を受賞、アメリカの批評サイト・ロッテントマトでも96%の高評価(2021.12.25現在)をたたき出している。映画の舞台となるのは、トルコ・イスタンブール。幅わずか1キロのボスポラス海峡をはさんでギリシャと隣接し、ローマ時代から数千年にも渡ってシルクロード交易の主要な通過地として西洋と東洋の接点となってきた異国情緒たっぷりの街だ。長い間栄華を極めた面影が今もあちこちに色濃く残り、世界遺産も数多く存在する。そんな街中の、昔ながらのバザールやカフェ、路面電車の走る道、歴史的な建造物のそばを、縦横無尽に移動し、あちこちに姿を現すのは、多くの犬たちだ。そこで彼らは人間社会とは絶妙な距離を保ちつつ、節度ある態度で人々と触れ合う。人間の会話はほとんど登場しない本作では、カメラは常に犬の表情と足取りとコミュニケーションをつぶさにとらえ、やがてわたしたちも彼らの感情や表情におのずと引き込まれ、同調していくこととなる。犬たちの目線に合わせると、そこから見えてくるのは、高い知能と理性と愛にあふれた犬たちの姿と、高度に保たれているコミュニティの在り方だ。仲間に分け与え、見返りのない愛を注ぎ、許すことをそっと教えてくれるのだ。

犬の聴覚を体感する世界初の聴覚言語を開発

映画では世界の狭間を見せるように、アレッポから逃がれてきたシリア難民の少年たちも登場する。ゼイティンとナザールを追ってたどり着いた瓦礫だらけの建設現場で、ロー監督は「犬という仲間がいなければ、シリアの少年たちは自分たちの国ではない街で、まるで漂流しているかのように感じたでしょう」と語る。そこでは犬たちにも、犬を抱く少年たちにも安堵と優しさの表情があふれていたからだ。

また『ストレイ 犬が見た世界』には、人間以外の視線を中心に世界を視覚的、聴覚的に再構成しようという試みが積極的になされた。『リヴァイアサン』(12)や『モンタナ 最後のカウボーイ』(09) などの作品のサウンドデザイナーであるアーンスト・カレルとロー監督は、犬の聴覚を映画的に表現するための聴覚言語を開発したという。人間だけが知性を持ち、自分たちの視点や聴覚こそがすべてであるという思い込みから解放された、新たな世界の現出である。

Story

トルコ・イスタンブールの街中。車道、マーケット、レストラン、ボスポラス海峡の砂浜…。あらゆる場所を縦横無尽に闊歩する犬たち。その数はかなり多く、社会もそれを自然と受け入れている。車をかわし、渋滞する車道をすり抜ける大型犬、その大型犬をうまく回避するドライバーたち。恋人たちが痴話げんかをするカフェの傍らで、耳を傾けながら横たわる犬。20世紀初頭の野犬駆除への猛省から、トルコの人々は野良犬と共存する道を選んだのだ。

ゼイティンの物語

大型犬が多くいる街中にあって、その存在感をひときわ大きく放っているのが、推定2歳前後のメス犬ゼイティンだ。躯体は筋肉質で毛並みもよく、「強く、美しい」と街中の人々も一目置いている存在だ。時に仲間たちと戯れ、コミュニケーションをとり、人間とも程よい距離感で過ごしている。すべてを見ているような目、すべてを聞いているような耳、すべての匂いを知っているような鼻。彼女はまるでイスタンブールのすべてを知り尽くしているかのように、しかし謙虚にそこに佇む。人々は政治の不満を口にし、恋人への嫉妬をぶつけるが、それをそっと聞いているだけだ。

カルタルの物語

カルタルは表情の愛くるしい、まだ幼いブチ犬だ。母犬と兄弟犬と常に一緒に行動しているので、どこか飼い犬のような表情をもっている。世話をしている建設現場の数人の男たちからも一番愛されている存在だ。彼らは犬たちに日々食事をあげて、お互いに信頼関係も出来あがっている。そんななか、建設現場に住むシリア難民の少年たちが、カルタルを譲ってほしいとお願いにくる。それを断ると少年たちはカルタルを盗み、自分たちの寝床へ連れて帰るのだった。サリという新しい名前をつけて。少年たちは誇らしげにサリを街中に連れ出し、愛おしそうに見つめる。配給された食事もサリやナザールに優先して与えるのだった。しかしそんな幸福も長くは続かない。建設現場を追いやられた少年たちは路上で寝ていたところを捕まり、サリも同じように連れられてしまう…。

ナザールの物語

ゼイティンと行動を共にすることの多いナザールも、ゼイティンと同じような躯体の大型犬だ。廃墟となった建設現場の瓦礫の中で、アレッポからたどり着いたというシリア難民の少年たちと寝床を共にする。少年たちの持ち物である古びた毛布に包まり、その表情は幸せそうだ。少年たちも犬を抱きしめて、幸福そうに夜を過ごしている…。しかし、彼らはその建設現場から出て行けと、管理人から日々脅されているのだった。

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